犀星ルーム

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● 99/08/13 田端の文士村記念館
 
を訪ねる
Update 10/03
● 金沢 その1 Update 08/06
● 犀星、大好き! Update 02/14
● 画家/畦地梅太郎さん Update 98/12/05
● じんなら魚 Update 98/11/01
●'98/10/04 前橋に犀星を訪ねる Update 10/10
   

   
● じんなら魚 Update 11/01

 まだ田端を歩く時間はとれないでいるので、かつての犀星話からひとつ。
 詩文集「高麗の花」の中に「じんなら魚」と云う短い詩が載っています。 伊豆・伊東の温泉に棲むと云うこの魚に妙に好感を(共感かな)を抱いてから、長すぎる春(?)を過ごして来ていました。
 何に共感するって、冷たい自分の身を煙たつ湯の中に置かねばならないこと。「悲しい」と言いながらも自分の体温と違う湯水を泳ぎ回り、湯煙の中で生きて行かなければならないこと。まるで男の人生そのものじゃないですか。

   
画家でフルーティストの松本秀夫さんが描いてくれた「じんなら魚」の表紙原画 (木版)
 ひたすらその1点だけを詩う短い詩に感動して書いたわたしの混声合唱曲は、中田喜直さん・間宮芳生さん・山田一雄さん等が拾ってくださって、'81年の神奈川芸術祭作曲コンクールに入賞しています。その頃は「じんなら」を「なんじら」のもじりではないかと結構まじめに考えていました。「きみたちと同じ運命の魚だよ」と犀星が語りかけてくれているようにも感じて、心で泣いたりもしていた訳です。
          
 '92年の7月にふと思い立って、静岡県伊東市役所に問い合わせをしてみました。社会教育課の島田さんとおっしゃる男性の方がとても親切に調べてくださって、数日後に6枚の返信FAXが届くんです。 居たんですよ!「じんなら」が…。

 現在('92年 当時)は駐車場となっている「浄の池」と云うところに、かつて実際に棲息していて、大正11年3月に天然記念物に指定、昭和57年頃に指定解除になっているとのこと。残念ながら現在じんならとしてはもう居ないが、「コトヒキ」と云う魚のことでしたとの解答FAXをくださったんです。
 いわゆる温泉にではないものゝ、 温泉の湧き出している温水に棲んでいて動きはとても素早く、背びれの刺で他の魚を刺し殺してしまうんだとか。あら〜、チョッとイメージ違うよ! 熱いお湯の中を冷たい体で健気に泳ぎ続けて行かなければならないはずの私の分身が、刺殺もするような乱暴者だなんて〜。            
   
 島田さんが添付してくれた県の調査報告書によると、浄円寺の境内にあった浄の池は約10坪。 深さ1 〜2 尺で26.6度の清澄な温湯を湛え水面には白気を呈すると云う、まさに犀星の詩そのまゝの池だったようです。そしてそこには、下の5種の珍魚がいたと記されています。
  1. 蛇 鰻  2. 毒 魚  3. 迅 奈 良  4. 横 縞  5. 湯 鯉
 何ともすごい名前の魚ばかりなんだけれど、1. の蛇鰻は「大小二尾 一は全長五尺 径五寸位 重五六貫 一は全長四尺ありとのことなれども実見するを得ず」と云う、さながら浄の池のジョッシーまがい。2.の毒魚は鯛に似た3 匹がいて「腹と鰭が緋で他は黒、ただ餌を喰うときは全身赤色を呈す」と、これまたいかにもフツーじゃなさそう。そして3.の 迅奈良がまさしく「じんなら魚」なんだけれど、こんな奴らと一緒に暮らしていたんでは、彼だってただおとなしいだけじゃやって行けなかったのかも知れないね。
   
 その姿も一緒にFAX(右図)くださったんですが、コトヒキは別称ヤガタイサキ、伊豆の方言でジンナラ、和歌山ではタルコ、沖縄ではクワナガーとも呼ばれている魚なんだそうです。
 ただ方言である「迅奈良」の意味や語源みたいなことは判らなかったので、もし「それ知ってるよ」と云う方いらしたら、是非教えてください。

 イメージ違う!で思い出しましたが、前回訪ねた前橋へ犀星が初めて訪れた際の朔太郎の印象も、詩と云うイメージの権化のような作品から朔太郎が作り上げたそれと、犀星その人とのギャップがかなり大きくて、初めは必ずしも好印象とは言えなかったようです。にもかゝわらず、恋人とまで言われるような仲へと深まって行く縁とは果たして、やはり人+お互いの作品の持つ魅力を置いて他には考えられないのですが …。
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● 98/10/04 前橋に犀星を訪ねる Update 10/10

 室生犀星は、前橋生まれの才人・萩原朔太郎と「よくそこまで …」と思えるほど、深いふか〜い友情を育んでいます。彼の詩に感動した朔太郎が手紙を送り、翌1914 年に初めて犀星が前橋を訪れて以来、その親交は深まる一方だったようです。

 まず街の中心部(かと思うが)広瀬川畔に建つ前橋文学館を訪ねる。「今日は犀星は二の次だろうな」は頭に置いていたけれど、館の玄関前「朔太郎橋」に立って早くもウッキャー!(このあたりがミーハー)。犀星の「利根の砂山」と云う詩のレリーフが 橋の欄干(かなぁ?)に埋め込まれてる〜。署名は見慣れた彼の自筆のようだ。その反対側には「文学友情の碑」なるレリーフもあって、その文中には来橋した犀星が、岩神町1丁目にあった「一明館」と云う下宿屋に約1ヶ月間滞在したとも …。うワァ!行きたい、絶対に!!
          
 はやる気持ちを抑えて館内を、そして朔太郎を読む、見る、聞く。2階の朔太郎展示室の奥、小さいコーナーにいたいた犀星が…。いつもの私のパターンではあるものゝ、自筆原稿の書き込みや彼等のやり取りした書簡/ハガキなどを見るにつけ、その掛け値なしの友情、そして子供のように素直な思いの吐露などがすぐに心を柔らかくしてくれます。

   
 貧しさの極みで育ったような犀星と、裕福な家に生まれてギター/マンドリンを楽しむと云う当時としては最もモダンな生活を送っていた朔太郎、この正反対のような二人がその作品で出会って、お互いとその力量とを心から信頼し合えるようになって行くと云う事実はいつも、私の心を動かすのに充分すぎます。さらに朔太郎の詩集「月に吠える」の序文(違ったかナ)に、この二人の確固たる友情をダメ押しするような一文を寄せる北原白秋の原稿にも、まさに釘付け! スーパークリエイター同志の密度濃い「心の往来」なんだ〜。

 広瀬川を北に遡った街はずれに敷島公園と云うとっても大きな公園があって、その一角に朔太郎生家の離れと書斎が保存されていました(写真右)。
 さぁ、いよいよ岩神町へ。1丁目を歩いてみるものゝなかなかの広さです。少しでもこの空気を記録しておきたくて、昔からあったであろう大樹を1枚パチリ!「雰囲気がわかったから、ま、いっか」だったんだけれど、たまたま通りがかったコンビニで、犀星と「一明館」のことゝを尋ねてみました。
   
敷島公園に残される朔太郎の生家。犀星もよく訪れたとか…
シルクハットとマンドリンのオブジェと朔太郎橋の夕灯り。  
 私より少し若い世代(40代前半から半場くらいかなぁ)と思う奥さんがいらして、そう!知ってらしたんですよ。犀星のことも「一明館」の場所も。ウ・レ・シ〜〜!
 何とそれは、さっきの大樹のすぐ下辺り。84〜85年前に彼がここに居た。ただそれだけでファン(じゃない!生まれ代わりだった)と云うものは、至福の時間の経過を楽しむことができてしまうものですね。
 
 また街中へ戻ってみると、文学館や朔太郎橋にはもう前橋の夕灯りが…(写真左)。私にとっての新しい情報は、東京:田端で犀星/朔太郎/芥川龍之介との生活があったと云うこと。
 今度は田端だナ。
   
小山亜紀奈さん、資料揃えてくれてありがとう! もう山に近いこのあなたの故郷は、広瀬川とその水が大切な意味を持った街なんですね。おすゝめの「ソースかつ重」食べそこなったけど、久し振りにとっても楽しい1日でした。
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□ 室生犀星詩集(選集)は手軽な文庫本として2種、岩波と新潮文庫から出ていたかと思います。
☆ 写真は Panasonic DIGICAM NV-DS5 (デジタルビデオ) で撮影。
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by Petitnet