犀星ルーム

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● 99/08/13 田端の文士村記念館
 
を訪ねる
Update 10/03
● 金沢 その1 Update 08/06
● 犀星、大好き! Update 02/14
● 画家/畦地梅太郎さん Update 98/12/05
● じんなら魚 Update 98/11/01
●'98/10/04 前橋に犀星を訪ねる Update 10/10
   

   
● 犀星、大好き! Update 02/14
   

 「そんなに犀星さんがお好きなら、どの作品が一番おすゝめですか?」ってよく聞かれます。う〜ん、あれもこれも…。犀星の作品については多少知っているはずなのに、どれって言えないんですよね、いつも! 何で〜? きっとそれは、私が彼の文学を愛してたくさんの作品たちと接しているのとはちょっと違うから、なのではないかなと思う時があります。
 そもそも活字とは縁遠い質だった訳だし、自分に曲を書かせてくれる「犀星」が、「そう云う彼の詩」が好きだと云うところから、犀星と云う「人」のミーハーファンとなって行った経緯からなのかも知れませんね。生まれ代わりでもあるんだし…? まぁ、生まれ代わりだとしても自分の大好きな作品と云うのはあるでしょうが…ね。
   
 ベートーベンは自作のエロイカ交響曲終楽章のテーマが自分でも大好きだったようで、私たちも思わねところで(ピアノの小品なんかでも)バッタリ出会ったりすることがあります。何やら人間っぽさを感じて、私にはベートーベンがとっても身近に思える一瞬なのですが…。

 また外れて行きそうなので話を戻すと、犀星の詩にはけっこういろいろな比喩が出て来ます。その中でも強烈なインパクトを以って耳から離れてくれない(頭からではなく耳から)、そして好きで好きで仕方ない表現と云うことで、すぐ思いつくことがひとつあります。
 芥川龍之介が「都会」の中で "
夜半の隅田川は何度見ても、詩人SMの言葉を越えることは出来ない。───「羊羹のように流れている」" と賛歎したと云うその、夜の墨田川が羊羹のように流れると云う喩えです。川の有様を具体的に正確に、また詩的に、私的に豊かに表現しようとした言葉はきっといくつも存在するのでしょう(活字に縁のない者としては比較のしようもないのですが)。でもこんなに単純な喩えだけで、こんなにもはっきりとした印象を第三者に伝えることができるなんて…。
 私が見て知っている隅田川と彼の見た隅田川は同じものではないのだし、それを見ていない人にとってもイメージしてもらいたい隅田川がある時に、こんなこと(すごいことの意味です)で伝達が可能なんだと云う、自分にとっては手段面での驚きでもあったんだと思います。私たちが音楽していたって「どうやったら一番伝わりやすいのか」は常に課題になって来ることだし、彼の作品の持つこの「思いや、物ごとの伝わり具合」にぞっこんなのかも知れません。
   
 そう、もうひとつ。 やはり作品ではないのだけれど忘れられない一節が…。 '92 年の12月、大田区立郷土博物館で室生犀星の特別展が催されていると云うので、当然のことながら出かけて行った時のことです。

 館内に彼の書斎なども復元されていたように記憶していますが、前橋文学館(10/10 UP)の時にも書いたように、いつも最も私の興味の対象となるのは、彼の(そして縁りある人物たちの)手紙/葉書、そして原稿などを見たり読んだりすることです。
 そこに、Top Pageミニガイドでも触れた北原白秋へ宛てた自筆の葉書が並んでいたんです。
 
 いま手元に資料がなくって記憶頼りですので、正確な表現での記載はできませんが(そのうち調べて直しておきますね)、その葉書に書かれていた…
  あなたに会いたくて甚らず
  手をとって杯を交したくて甚らず
  東京へ行きたくて甚らず


と云う3行に絶句、不覚にも涙を流してしまいました。当時の彼の諸事情として「何としても東京へ出なくては…」と云う焦りもあったのかも知れませんし、詩壇でビッグネームとなって来ていた白秋の作品に触れて書いた、単なるファンレターの類だったのかも知れません。

 ただ私にはこの一節すら、彼の「心の詩」以外の何物でもないように感じとれ、「こんな作品を書く人物に会いたい!話したい!」を、こんなにもぶっきらぼうに素直に表現してしまえる彼を、心底うらやましくも思いました。 生まれ代わりのくせに…ね。
b y と し

   
● 画家/畦地梅太郎さん Update 12/05
   

 狭いわが家に絵画と呼べるものが9点あります。つまり空いてる壁はありません!?
 内訳は、版画(5)/タブロー(2)/レリーフ(2)。その中で、前回ご紹介した松本秀夫さんの「じんなら魚」の表紙絵と、今回お話しするこの畦地梅太郎さんの「鳥と道具」と云う2点が、木版画です。

 雪ん子と云うか雪おじさんと云うのか、何とも素朴であたゝかい雰囲気の作品でしょ。もう10年になるだろうか、東京:銀座の画廊でフッと目に止まって以来、もう欲しくて欲しくて…。機会あるごとに訪ねてはながめていたんですが、ついにいわゆるローンではなくって、そこのご主人の厚意による分割払い(?)にしてもらって(まぁ、それほど高いものではなかったんですが)手に入れた作品です(写真右)。これが初めて自分で購入した絵でもあるんですよ。

 前回(11/01UP)は長くなってしまったのであと回しにしましたが、「じんなら魚」を碑文にした犀星の文学碑が静岡県伊東市にあります。 彼の死後10年を過ぎて建てられたこの文学碑、私の「じんなら魚」歌曲版の初演もしてくれたり、その他の曲も数多く唱ってくれている友人のバリトンと一緒に訪ねる約束になっていて、それがまだ実現していないため、いま私の知識にある犀星ゆかりの場所でまだ訪ねていないのが、唯一この詩碑です。

 ある時、室生朝子さんの「父 室生犀星」(三笠書房)を読んでいたら、伊東の詩碑について以下のようなくだりが目に入って、フリーズ! そう、私のMac.みたい(?)に、突然フリーズしてしまいましたよ。

 畦地梅太郎「鳥と道具」(部分)
   
 私の手元には、父の「じんなら魚」の詩の原稿は残されていなかった。
 碑文の字刻は画家畦地梅太郎氏におたのみした。父は生前、『作家の手記』以来、『杏っ子』をはじめ『誰が屋根の下』『愛する詩人の伝記』『宿なしまり子』など、多くの書物の装釘や題せんを、畔地氏におねがいしていた。父の原稿がない以上、父が好んだ字を彫ることが、より父ににつかわしいことであった。


 エ〜〜〜ッ! その驚きようったら、わかるでしょ。
 通りがかりになにげに見かけて、どうしても欲しくなって、初めて手にいれた絵が犀星と切っても切れない画家の作品だったなんて! またまた、自分は犀星の生まれ替わりだぁと思い込んでしまう要素が一つ、そこに生まれたのも判ってもらえますでしょうか? だんだん音楽的な理由からは遠ざかって行くけれど…。

 ちょっと話が逸れますが、M.オークレールの弾くチャイコフスキーのVl.協奏曲にぞっこんだった時があって(もう30年くらい前になるんだぁ)、その彼女が、同じく私が メンデルスゾーンのVl.協奏曲で愛聴盤にしていた Y.メニューインの「愛弟子だった」ってことが後日判った時の、「なんてこったい!」って感動を50倍にしたくらいと言ったら判っていただき易いでしょうか? わっかりにくい〜、ブーブー(ブーイング)。

 朝子さんの "
伊東にゆかりのあるただ1編の詩" "暖香園と云う旅籠屋に13日間も滞在" と云う表現から、それが彼の旅としては比較的長い滞在だったんだと云うことが判ります。
 にもかゝわらず、この多作な作家が残した伊東の詩が1編だけ? それも魚の?
 "
魚類が好きであった父が、「じんなら魚」を見て、詩をつくったことはいかにも父らしく、また山なみや海などよりじんならの印象が深かったことは、面白いことである。" も、いつまでも心に残るくだりです。

 絵を観ることは大好きで、幸いにも画家の方々の知り合いも比較的多い私ですが、みなさんほんとうに魅力的な字を書くと思います。キャンバスや画紙に向かっているときの真剣勝負から解き放たれるためか、時々いただくお葉書はその文字も含めて、ほんとうにおゝらかで自由がはみ出しているよう! 私の大好きな世界です。

 以来この版画も、その下余白に書かれているタイトルや、畦地さんのサインも含めてしみじみと見るようになりました。ちなみに畦地梅太郎さんは私のとなり街、東京:町田市に住んでいらっしゃると以前聞いたことがあるのですが…。
b y と し

□ 室生犀星詩集(選集)は手軽な文庫本として2種、岩波と新潮文庫から出ていたかと思います。 このPageのTop へ
                    
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by Petitnet